やあやあ、能ある鷹h氏(@noaru_takahshi)だよ。
ゴールデンウィークの台湾旅行で「921地震教育園」へ行ってきました。
921地震教育園は、地震に関する資料展示及び住民への防災意識啓蒙を目的として建設された博物館です。
この施設がすごいのは、霧峰郷光復中学校という震災遺構を生きた教材として丸ごとそっくりそのまま保存して公開しているところ。
中学校の地下を車籠埔断層が横断していたことから、921台中大地震では校庭が隆起し、霧峰郷光復中学校の校舎及び校庭は全壊の被害を受けました。
その当時の被害状況が、驚く程まるっとそのままに、留められています。
そして、ただ震災遺構を保存しているだけではなく、たくさんの映像や体験施設を併設して、地震そのものについての理解が何倍も深まる施設です。
日本人として、台中に訪れたからには、この施設に行かないわけには行かないでしょ!
ということで訪問することになったのでした。
今回は、そんな高い志を持って計画された「921地震教育園」が質・量ともに素晴らしかったので、感想をメモしておきたいと思います!
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921地震教育園のあらまし
1999年9月21日、午前1時47分に南投県集集鎮付近を震源にM7.6の地震が発生しました。
死者2,415名、負傷者11,306名、行方不明者29名。
約3万棟の建物が倒壊したこの地震は、台湾のここ100年で最も大きな地震災害となりました。
この921大地震発生後、政府当局及び学者、専門家により「地震記念博物館」が作られました。
霧峰郷光復中学校の断層のずれ、校舎の倒壊等、地震発生直後の様子の状態が良い事からこれらを生きた教材としてそのまま保存、公開する事となりました。
地震記念博物館は2001年2月に「921地震教育園」と名称が改められ、全体が竣工したのは2004年9月。
園内には車籠埔断層保存館、地震工学教育館、映像館、防災教育館、再建記録館などの展示室があります。
アクセスの仕方
台中駅からバスが運行しており、1時間くらいで着きます。
台中客運100、107、6871、6873で「光復新村/921地震教育園」で下車。
ちなみにバス停からも5~10分くらいで歩きます。地震の影響もあり、決して栄えている場所はないので、道中不安になりますが、バスを降りて左手の道をまっすぐ進むと到着します。

途中、廃屋を利用したオシャレの工芸品の商店街があります。

入口に到着!九二一地震教育園区の他に国立自然科学博物館の文字が見えます。国立自然科学博物館により建設・運営が行なわれているとのこと。

元々が中学校という広い敷地の中に、様々な施設があるのですが、とても広い!!
平日だったためか、スタッフの数より客のほうが少ないといった感じでした。

チケット売り場には日本語可能なスタッフさんもいらっしゃいます。
ちなみに亜州大学とも近く、安藤忠雄設計の亜州現代美術館を見学した後に行くのもオススメです!!

徒歩で20~30分で到着します。(このあたりは全然タクシーが走っていませんので注意)
設計のコンセプト
ここで一旦、建物の設計コンセプトをご紹介したいと思います。以下公式サイトより抜粋。
「建築の針と土地に隠す線」を使って、この地震の裂け目を縫います
断層の通過によって造成された地景や校舎の倒壊状況をより鮮明にするため、当教育園の建築物は展示館と地震で破損した校舎とを統合し、断層線上の地層の変動がもたらした影響をより一致した形で表現しています。また、建築物に使用した針や大地に隠れた糸で地震でできた亀裂を縫い合わせています。車籠埔断層保存館はすなわち、断層と元来のトラックを結んでできたもので、さらにずれた断層線を以って観察面を区切り、異なる区域をもっとも原始的な断層の核心が変形した後のロジックに還元して展開させていくのです。
教育園全域の建築物は、視覚の角度を利用して相対的高層を求め、活断層の落差値によって安全な距離をとっているので、建築物は原則的に断層のラインに従って移動します。そして地形や地上の様子に合わせて調整し、それぞれが自然に独立しながらも互いに連結した空間となっており、見る人に異なる空間体験を与えています。
日本語訳されているせいか、難解な説明になっていますが、要するに、建物は地震当時の様子を壊さないように設計されているということ。

グラウンドの曲線に沿うような形状の展示館は、片持ちコンクリートや鉄骨フレーム、ワイヤー等とガラスの組み合わせでリズム感を創出しており、展示物だけでなく建築としてのテクニックが光ります。

裂けた地面をまるで糸で縫うかのようにかけられたケーブル構造の屋根がポエティックで素敵です。

断層によって裂けてしまった地面に寄り添うように建築の形や床の高さが設計されており、施設を歩く中で様々な視点の空間体験ができる点もよく工夫されています。
この建物の設計は「邱文傑+莊學能」、構造設計は「渡辺邦夫氏+富田匡俊」です。
展示の様子をご紹介!
教育園は、大きく分けて車籠埔断層保存館、地震工学教育館、映像館、防災教育館、再建記録館の五つに分かれています。全部ゆっくり見学しようとするとかなりのヴォリュームになります。
車籠埔断層保存館

地震学をテーマにした展示ゾーン。
921大地震の余震の数、地震のエネルギー、断層の種類、台湾とプレートの関係……等々パネルや映像を用いて、詳細に展示されております。

ユーラシアプレートとフィリピン海プレートの境界上にあり、複雑な地質構造を示している台湾もまた、日本と同じく地震大国です。
大地震を引き起こした原因「車籠埔断層」。

車籠埔断層は光復中学校のグラウンドと校舎を通り抜け、校門や道路も抜け北へ延伸していきます。地割れとはまさにこのことですね。。。

断層により、ねじ曲がってしまった、グラウンドのトラック。
地震工学教育館、損壊教室保存エリア
車籠埔断層保存館を抜けると、損壊教室保存エリア南側校舎を通過して、地震工学教育館に移動します。
損壊教室保存エリアは、名前の通りボロボロの建物が建っています。

鉄のバットレスで支えられる建物。サイボーグのようです。。

アクリル性の透明の柱で支えられています。現状をできるだけ残したいという気持ちが伝わります。

損壊した南側の校舎。来館者は実際に教室の中に入って校舎の中を見学する事が出来ます。

地震工学教育館は地震と新しい耐震建築の技術の理解を目的としており、耐震技術についての展示がされています。

建築物の減震技術、公共の安全をテーマに、当時の学校の様子や、地震の原理を体験出来るコーナーなど、充実の展示内容でした。
霧峰郷光復中学校の損壊教室保存エリア北側校舎へと向かいます。

オープン当初はそのままの状態だったようですが、現在では屋根にすっぽりと覆われ、雨風等の二次被害を防ぎながら保存する形を取っております。

同じ校舎でも、倒壊せず耐え抜いた部分と、脆くも崩れ去った部分と分かれています。

とにかく生々しいです。。。17年前のものとは全く思えません。
こうして風化してしまわないように、きちんと大規模に保存しているのはすごいところです。
写真や映像からも悲惨さは伝わりますが、実際にこのようなことが、ここで起こってしまったのだ、という恐怖は、この目で本物の被害を見るからこそ、心が震えるような気がします。
映像館

光復中学校の旧スポーツセンターを改築して出来た映像館では、921大地震に関連する写真や映像資料を展示しています。
メインの展示は、地震体験シアターと3Dシアターです。
地震体験シアターですは当時の家の中を再現してあり、震災当日の様子が体験できる展示になっています。マグニチュード7.3の地震が体験できるのかと思ってドキドキしていたら、揺れは震度3くらいでした。本棚から本が落ちたり、緊迫感のある演出ではありました。

3Dシアターでは、なぜか、シロクマの生態の3Dムービーを見ることになり、かなり困惑しました。地震全然関係ねえ。。。
防災教育館

921大地震より露呈した防災措置の不足を課題と捉え、正しい防災概念と知識を学べる展示内容となっております。

西遊記のキャラクターたちを使って子どもたちにも分かりやすい形で地震のメカニズムが紹介されています。
再建記録館

最後の再建記録館では台湾がどのような復興を遂げたのか、当時の映像や写真を用いて、分かりやすく解説がなされています。

当時の資料が展示されていたりと復興の行政に関わっている方には参考になる内容なのではないかと感じました。
日本がこの施設から学ぶべきこと
日本でも2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生しました。
東日本大震災では、5年以上経った今でも更地の場所があるほど甚大な被害がありましたが、それでも当時の被害の様子が生々しく残っている部分ってほとんど見つからないと思います。
隆起した道路も壊れた建物も耐震性の危うい建物も、ほとんど直され、片付けられ、消えてしまいました。
沿岸部の被災地を見に行っても元の地形が分からないくらい様々な工事が入っています。
壊れたら再建し、汚いものは撤去し、隠す。これが日本人の美徳であると思います。これ自体は本当に素晴らしいことだと私は思います。
そういえば数年前にカトリーナで大きな被害を受けたニューオーリンズのLower Ninth Wardに行った時は、9年経っても当時のままになっていたことに生々しさと驚きを覚えたことを思い出しました。
日本はどんなに荒らされてもきちんと片付ける律儀さがあります。
でも、日本で”しっかり保存された被災地”って見たことがないですよね。
日本では、写真や模型でのメモリアル施設は数多くありますが、震災遺構として被災地がそのまま保存されている例はごくごくわずかなように思えます。
戦災遺構ではありますが、大々的に保存されているのって広島の原爆ドーム位しか思い出せませんね。。。
東日本大震災でも震災遺構として、象徴的な建物を保存しようという声はかなり多数上がりましたが、結局、住民投票で撤去が決まるという話が数多くの地域でありました。
津波を経験した被災者の方々からすれば、当然消したい記憶であることは間違いないし、辛い気持ちを抱えながらなんとか今を生きている人もいる中で、絶対に残せとは言えないことはよくわかります。
この経験を風化させてはいけないという気持ちと、全てを忘れ去りたいという気持ち。どこで折り合いをつけるのかは本当に難しい問題ですね。
でも、今回この921地震教育園を訪れて感じたことは、人って写真や映像だけじゃやっぱり伝わらないことがあるということだと思います。
百聞は一見に如かず。人の感情を動かすものって、結局、どんなに丁寧で綿密な言葉そのものよりもビジュアルなのではないかと、実感しました。
震災遺産は残すべきか。難しい問題ではあるけれども、台湾がここまで徹底的に教育施設として保存・管理を決めたことは絶対に重要なことだと思うし、震災遺構は時間が経てば経つ程失われて行く中で、被災者の気持ちに配慮しつつも風化しない努力はすべきだと思います。
ただし、921地震教育園は深夜に被災したため、幸運にもこの学校で死者が出なかったことが保存に大きく寄与したということは重要なポイントです。
その意味では1億円かけて批判が殺到した「奇跡の一本松」の保存は、確かに高額だとは感じますが、記憶の継承という点で私は賛成です。
現在も方向性の見えていない震災遺構がいくつかありますが、出来るだけ残していく方向で議論が進んで行ってほしいと私は思います。
ちなみにwikipediaによれば、今、日本で震災遺構の保存の方向で話が進んでいるのは、震災から3年の時点で宮城県で15か所ほど、岩手県では8か所。2014年5月現在、宮城県では7市町の12施設が検討対象であるとのことです。
最後に!!
思った以上にボリュームがある展示、残念ながら全てをじっくり万遍無く拝見する事は出来ず、途中駆け足となってしまいました。全てゆっくりと見て回るには半日あると良いかもしれませんね。
しかし、全体を通して、展示構成には、次世代の子供たちにもわかりやすく伝えようとする意図がはっきりと感じられました。実際に台湾国内の学校では教育プログラムの一環としてこの地を訪れているそうです。
地震の影響力を知り、そしてその被害や恐怖をどう後世に伝えていくか、日本人として、震災について改めて考えるよい機会になりました。
皆さんも、もし台湾に訪れた際には是非行ってみることをオススメします!
【名称】921地震教育園
【住所】台中市霧峰區坑口村中正路46號
【営業時間】毎週火曜日~日曜日 9:00〜17:00
【料金】大人:50元、優待チケット:30元、毎週水曜日午前9:00~10:00参観無料