ああ、最近、運動不足だな、、、でも食事もあんまり食べてないから、見た目も太ってないし。
消費カロリーも少ないけど、摂取カロリーも少ないからうまいことバランスとれてるよね。
運動もせず、カロリー過剰摂取のデブよりましだろ。
…なんていう自己暗示をかけて、ガリガリを自己正当化しているみなさんに送る、自戒を込めたメモです。
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私も(今もですが)ガリガリでした。
幼少期
生まれた時から運動神経よくない。
公園でやっているサッカーや野球は全然うまく出来ないので、一緒に遊んでも楽しくない。
でも、わりと手先は器用だったので、スーファミなら友達の中でも上手い方に入れる。
そんなこんなで、外で遊ぶアウトドア派よりかはインドア派な友達と遊ぶことが多かった幼少期。
中高時代
中学に入ると、スポーツをやっている奴はしっかりと体もがっしりしてきて、野球、サッカー、バスケ等の花形スポーツをやっている男子は、女子にモテ始めます。
一方、基礎体力のへったくれもない鷹h氏は、そんな部活動はできない。軟式テニス部でゆるいスポーツライフを送っていました。
高校になるとその差は一気に広がります。
鷹h氏は無謀にもハンドボール部に所属しますが、空中の格闘技ともいわれるこのスポーツ。
きつい練習の中で筋トレを続けるも、当たり負けしがちな軽い身体では、満足なディフェンスが出来ず、そのダメージは関節や腰痛に蓄積されました。
それでも高校3年間、なんとかリタイヤせずに練習をやり通し、体重は幾分か増加。
ところが進学校に所属していた私は、高校3年の後半から、怒涛の受験勉強。運動不足に。
大学時代
大学に入ってからも、キツかった運動部時代を思い出して、体育会系サークルに入ることを拒否。
バイトや学業など、運動とは無縁の日々を送りました。
でも、なんでも自由な大学時代。ひとからなにか言われるわけでもなく、嫌なことは避けて通ればよい生活です。
建築学科でスケジュール的にも気持ち的にも追い込まれることがあり、気が付いたら、176cmで53kgという病的なまでに痩せていた鷹h氏。
特にその状況に違和感を覚えることなく、大学院を卒業。
社会人時代
運動不足かつ、その怠惰な生活のせいで体格は貧相。
しかし、社会人では、知らない人と接することも多く、バブル時代を果敢に生き抜いてきたおじさんたちから、その体型を不安視される声をよく聞くことになりました。
なんというか、言葉に重みがないというか、説得力がないというか。様々な折衝をする中で、第一印象が大事であるということにようやく気が付きました。
貫禄、重厚感、安定感、そういったものが、実は人とコミュニケーションする上で「価値」であることに初めて気がついたのです。
危機感を覚えた僕は、駅前のジムに通うことにしました。
なぜ、ガリガリではダメなのか。
手足が長く、すらっとした体型、華奢な体が価値であると思っていた時期が僕にもありました。
もちろんモデル体型に憧れを持つかたもいるでしょう。でも、それはモデル業界で必要とされている能力。現実には、以下のようなデメリットが考えられます。
1.人と積極的にコミュニケーションしたがらなくなる。
「体重が軽い⇒簡単に投げ飛ばされる⇒でかいやつには近づかないでおこう」
ガリガリの僕は上記のような思考パターンになりがちです。
これは遺伝子レベルで動物に組み込まれている「人間の本能」なのだと思います。
物理的なけんかになったら勝てないことは明白だからです。
「フットサルやろうぜ!」と誘われても、「いや、得意じゃないから」と断ったり、「一緒に海行こうよ!」と誘われても、「いや、身体に自信ないから」と断ったり。
運動能力への自信のなさが結果的にコミュニケーション機会の喪失にもつながります。
友達と歩いていても後ろを歩きたがる。店の出入り口に差し掛かるとまず先に誰かに入らせるといった行動は、「自信のなさ=戦闘能力のなさ」の表れです。
2.卑屈になる。
けんかに勝てないということは、正々堂々と自分の意見を通すことが難しくなります。
もちろんそれに代わるくらいの能力、口が達者であるとか、異常に頭がよいとか人から尊敬される能力があれば話は違いますが、そこまで突き抜けた能力がない場合は、自然と「どうせ俺なんて」という思考に陥ります。
自分の意見はあるけど、それを通すほどの元気もパワーもない。
人の陰口をいったり、有名人の批判をやたらしたがったりする奴は、大体こういう精神性を持っていると思われます。これでは自分のストレスがたまる一方です。
3.不健康である。
そもそも筋肉がない、栄養を摂取していないということは、お身体に大変よろしくありません。
血の巡りが悪くなり、免疫機能も低下します。
肌荒れ、低血圧、しまいには、重い病気になってしまうかもしれません。
動物が本来とるべき 行動を制限しているという時点で、なんらかの不利益があると考えられます。
ガリガリが筋トレすることにより期待できる効果
これはガリガリであることのデメリットと真逆の効果が期待できますね。
1.自信がつく。
「筋肉がつく⇒体重が増える⇒簡単に投げ飛ばされない⇒でかいやつに近づいても大丈夫⇒仲良しになる」
こういったフローが想定出来ますね!!単純!!
人になめられないということはコミュニケーションをとる上でも大事なことですね。
でも、筋肉がつくこととけんかが強くなることは完全に別物ですので、注意しましょう。
2.誠意が生まれる。
筋肉って簡単につくものではありません。
かれこれ1年間ウェイトトレーニングをして、たくさん筋肉痛になりましたが、見た目の印象としては、ほんのちょっとしか変わりません。
全てのことは日々の積み重ねにあるのだと筋トレは教えてくれます。
人の陰口をいったり、批判をしたりして自分を正当化するのは簡単なことですが、優れた人間は文句を言う暇があったら、日々鍛錬を続けているということが身に染みてわかります。
卑屈になる前に誠意をもって毎日行動しようという気持ちがわいてきます。
3.健康になる。
ターザンの特集を読んでください。
http://magazineworld.jp/tarzan/back/
あらゆる健康になるメソッドが「筋トレ」と結びつけられて語られております。なんかもう、筋トレと毎日の健康に気を使っていれば、万事オッケーって感じです。
何を食べたらどんな体にイイコトがあるのか、どんな運動をしたらどういう体にイイコトがあるのか。
でも、年を重ねていくことを考えると、身体にイイコトと言われていることは、実践した方がよいと思うのです。
最後に
以上、簡単でしたが、ガリガリな人間こそ筋トレをすべきだと思う理由をご紹介しました。
(でも、骨格に恵まれてないとかっこいい身体にならないんでしょ。)
(でも、胃腸などの消化器官がちゃんと働いてないと身体って大きくならないんでしょ。)
(だったら、ガリガリの人間が筋トレなんかしても効率悪いよねえ。)
…そんな声が聞こえてきそうです。うっさい、そんなもん関係ありません。
確かに我々ガリガリな人間は、ラグビー選手にはなれないかもしれません。
でも、どんなにつきにくくても筋肉は絶対つきます。つくはずです。人間だもの。
自分の可能性を否定する前に、まずやってみること。
それこそが、この声の大きいものが力を持つ弱肉強食の世の中を生き抜く上で必要なことなのではないでしょうか。
と、自戒を含めてのメモ。
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