東日本大震災から約5年。私の中で3.11から変わったこと、変わらなかったこと。

やあやあ、仙台在住の鷹h氏(@noaru_takahshi)だよ。

 

今年もまた3月11日が近づき、東日本大震災から5年目という節目の年になりました。被災地以外の多くの人達にとっては、今や遠い昔のことになっているのではないでしょうか。

 

出身が仙台で、大学生活でも被災地に通い、なんだかんだで今もなお復興の仕事をしている自分にとっては、まるで昨日のことのようにも思えたりします。

今から考えると、震災当時、大学4年生だったということもあり、この震災が、大きな人生の岐路になっていた気もします。

 

東京の人々だって、震源地ほどではないにせよ、震度5強レベルの大揺れを体感したわけですし、もうあれから5年も経っているわけで、その後、社会制度や我々の心理も変化した部分もあって、当事者以外の方々も大なり小なり、震災の影響って受けていると思うんですよね。

 

復興関係の語りって、当時の被災地の風景があまりに生々しくて暴力的だったので、感傷的でポエティックで抽象的な話に昇華されがちだと常々思っているのですが、5年も経てば大分冷静に語れるかなと。

 

日本の災害史上最大級の広範囲の被害。今なお多くいる避難者の方々。終わらない造成工事。やりすぎた感のあるまちづくり。この災害で何が私の中で何が変わったのか、変わっていないことはなにか。5年という節目なので、個人的にもう一度振り返ってみたいと思います。

 



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この5年間のざっくり自分史

ひとまずこの5年の自分史を簡単に振り返ってみます。

【震災当時】2011年3月11日:東京で大学生していました

3.11のあの時、私はちょうど大学4年生。大学院進学を控えた春休みということで、新宿の設計事務所で模型作りをしてました。

忘れもしないあの激しい揺れ。事務所から落下してくる本、CD、模型。

急いで外に出ると、うねる地面。踊るビル群。

近くの公園に集まった時に驚いたのは、揺れの怖さでも崩れそうなブロック塀でもなく、蜂の巣を壊したときのような、1棟1棟のビルからわらわらと出てくるおびただしい人間の量でした。

地震が落ち着いて、ニュースを見て見ると、燃え上がる東北の街が。急いで仙台の実家に電話をかけて、無事を確認して安心した記憶があります。

【震災から1ヶ月】2011年4月:初めて仙台の実家へ

当時、新幹線は開通しておらず、東武鉄道の鬼怒川戦から会津鉄道を抜けて、福島へ。電車の本数もかなり少ないし、そもそも運転しているかも、ネットには情報が出ていないくらいの緊急事態だったので、とてもドキドキしながら向かったことを今でも思い出します。

地面はがたがた。津波の跡地にはバリケードが張られて、近づけず。

これは大変なことになったなあ。と、どこかで他人事な自分がいました。

【震災から4ヶ月】2011年7月:大学のプロジェクトで被災地へ

ここらへんからレールが変わってきた気がします。

実は大学の卒業設計で大失敗し、これから大学院でどうしようかなーと落ち込んでいた時期。

その時、なんのご縁か、研究室のプロジェクトで東北のとある地域の復興計画を担当することに。

2011~2012年の間は、月1回くらいのペースで被災地に通っていました。

復興計画自体は、残念ながらなかなか進みませんでしたが、現地の大学生や先生、地元の方々との触れ合いもあり、なんとなく楽しくてずっと続けていることに。

【震災から1年】2012年4月:就活

設計コンペも全然とれなかったし、就活どうしようかなあなんて思い悩んでいたのですが、面接を受けた会社で、自己PR欄に書いていた東北復興の話が人事の目に止まったのか、声をかけて頂きました。そんなこんなで就活終了。

【震災から2年】2013年3月:大学院修了&入社

大学院の修士論文も東北の集落をテーマに書いて、無事大学院修了。

最初は東京の職場で働くことになりました。

【震災から3年】2014年4月:異動の内示

突然人事に呼び出され、「東北行って来い」と言われる。

仙台に戻る。復興の仕事をすることに。

【震災から4年半】2014年8月:結婚

東京に勤めている彼女と結婚。

遠距離恋愛での結婚なので、いきなり単身赴任。

【震災から5年】2016年3月:現在

今。仙台で復興関係の仕事中。

 

と、振り返ってみると、まあ結構な東北地方との関わり方をしているわけです。

 

私の中で変わったこと、変わらなかったこと

この5年でどう被災地が変わったのかは、テレビやネットで出ているかと思います。ガレキが片付いて、造成工事が終わって、住宅が再建され始めた地域も増えてきました。

さて、自分はこの5年でなにか変わったのか、変わっていないのか。

1.年を取った

当たり前ですが、5歳年を取りました。5歳ってかなり大きいですよね。

当時0歳の首も座っていない赤ちゃんは、幼稚園の年中クラスになって園庭を駆け回り、

当時7歳の鼻水たらしまくっていた小学1年生は、小学6年生になって生意気にも色気づいた感じになり、

当時15歳の反抗期真っ盛りの中学3年生は、大学生になって成人式で晴れ姿を見せるまでになり、

当時22歳の大学4年生で食事もろくにせずガリガリだった私は、社会人3年生で筋トレをしつつ、まともな食事にありつけるようになりました。

 

そう考えると、5年ってやっぱり長いですね。

震災後、ずっと東北に通い続けていますが、学生ボランティアの無責任な立場から社会人の仕事としての立場に移行することは、責任の重みが全然違うことを実感しました。

 

でも、当時からの地元の東北が元気になったらよいなあという「気持ち」はあんまり変わっていないかなあと思います。

 

2.家族が出来た

あんまり震災とは関係ないですが、この5年の間で家族が出来たというのも大きいかなと思います。

5年前には想像していなかったことのような気がします。

仙台に異動になったのも予想外ですが、仙台と東京を行き来しながら、単身赴任的なこともしているのもなんだか不思議な感じです。

 

3.意識が変わった

復興への「気持ち」は特段変わっていないのですが、人生に対する「意識」は変わったような気がします。

この5年間で私が被災地で学んだことは、「社会との向き合い方」なんじゃないかなと思います。

 

震災以前から人口は減り、観光客も減り、このまま進んでもジリ貧状態だった状態での東北地方。

そして、あの大震災。色々な方面で言われているとおり、東北地方は世界の中でも社会的問題の最前線なのは間違いない気がします。

喫緊のスケジュールが組まれている中で、大量のお金と人が投入されながら、これから明るい未来が待っていると信じて、とにかく前に進むしかない状況で働くということが、貴重な経験だなと思ってます。

今やってることが本当に正しいかは誰にも分かりませんし、新しく街をつくっても20年後に誰も住まなくなってしまうかもしれない。矛盾を抱えつつ、もやもやしながらも、今困っている人たちのために進むしかない。

 

学生時代までは、なんとなく社会に役立つ仕事がしたいなあと思っていながら、自分の知識や経験のなさから、そういった建築の仕事はどこでどうやったらできるのか分からず、「自分に何ができるの?」と、ぼんやりと思案するばかりでした。

縁あって大学院時代から被災地に行くことになって、当時は一杯一杯であたふたしながら自分自身が何をやっているかよく分かっていなかったのですが、今、社会人になって、さらに東北復興の最前線への異動になって、「考える能力」よりも「行動する能力」が必要とされているというか、頭でっかちではなにも動かないなと思うようになりました。

まず自分が動くこと。現場では、「人間力」が試されているのだとますます実感してます。

 

そんな感じなので、社会とちゃんと向き合うために「人間らしい」生活を意識するようになりました。ブログや筋トレを始めたのもその一環でござる。礼儀正しい人間になりたい。

 

といっても、全然、人間的な変化がないのが悲しいところ。。。一番、この5年で変えたいと願ったところなんだけど。

 

と、まあこのように被災地に来ないと経験できない空気感がある一方で、いまだにこの道でよかったのかなと迷うこともあります。東京でバリバリ働いて、世界と対峙している人間とどんどん差がついていないかな、みたいなね。

 

この5年で人生大きく変わったと先程いいましたが、同時にこれから5年で人生どうするのかということも考えますよね。

ハード面の復興については、あと5年あれば、岩手・宮城においては、ほとんど出来上がるでしょうし。

“復興のその先”というやつです。その目標達成したら、これからどうするの?みたいな。

人間、何が成功か、何を目標とするかで達成度は違うかと思いますが、まだ人生の到達点を見つけられてないなあとも思います。

 

今回の出来事で学んだことを信じて、自分で咀嚼して、次に自分が出来ることを探すしかないんですけれども。

前例のないことを前例としてまとめるのもよいし、また違う前例のないことに挑戦するのもよいね。抽象的ですが、もっと見たことの無いものがみたいし、経験したことの無いことをしたいなあ、とは常日頃思っています。

 

最後に!!

と、まあ、個人ブログらしく、だらだらと今の思いを綴ってみました。

3.11はあまりに大きな出来事だったので、多かれ少なかれ、多くの人生の進路をゆがめたことは間違いありません。

そのことを反省するもよし、肯定するもよし、自分には関係ないと思うもよし。捉え方は人それぞれ。

でも、きっとこれからも自分の力たちではどうすることもできない他律的で同時代的で想定外のビッグイベントは生じるのでしょうし、ある程度はなすがままの精神が大事。

必要以上に感傷的にならず、かといってあの日を決して忘れることなく。次の5年間をどう生きていくか、毎日の生活からヒントを集めていきたいなと思ってます。


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鷹h氏 (@noaru_takahshi) の戯言

鷹h氏
この先どうなるかわからないけれど、どうするかも一緒に考えていないと、いざどうにかした時に動けなくなってしまうよね。

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