やあやあ、能ある鷹h氏(@noaru_takahshi)だよ。
東日本大震災から5年が経ち、数多くの人の惜しみない努力の結果、被災地にも徐々に新市街地が見え始めている地域もあります。
街が完成してから観光してもよいのですが、もし一度くらい被災した街の姿を生で見たいと思っているなら、今がラストチャンスかもしれません。そろそろ震災の面影が完全に消えて行ってしまう頃だから。
そんなわけで、もし仙台方面に訪問する予定があるなら、ぜひ1日使って宮城県の北側に位置している「女川町」に行ってみることをおすすめします。
女川町は、仙台から東に約60キロ、石巻市のとなりにある小さな港町です。
町の中心部を20m超の津波が襲ったといわれ、町民のうちの、およそ1割の命が奪われました。
壊滅的な被害を受けながらも、若い住民の一致団結した努力により、復活の姿を見せつつある女川について、そのまちづくりの概要と、オススメの観光コースについて紹介したいと思います。
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人口が急減している女川
震災前の女川は、女川湾の奥の狭い平地に店や家、工場などがひしめきあっていました。人口は町全体で1万人ほどでした。
(2010/11/21撮影)熊野神社より眺めた震災前の女川の町
しかし、東日本大震災によりそのほとんど全てが、津波によって失われてしまいました。
(2011/3/14撮影)高台の地域医療センターより眺めた震災後の女川の町
こうした瓦礫は現在全て撤去済みであり、現在は街全体の造成工事が進んでいます。
復興が今どこまで進んでいるかは、女川町HPをご参照ください。
現在の人口は6,334人で、震災前から約30%を超える人が減っています。海や山がきれいで、魚が美味しく、気候は温暖で、魅力の多い所なのですが、交通アクセスの不便さや原発の存在など課題も多い。新しい街が完成してもどれだけの住人が戻ってくるのか、不安な部分があります。
国勢調査の結果
平成22年( 前 回 ) | 平成27年( 今 回 ) | 前回比較(増減数) | |
人 口 | 10,051人 | 6,334人 | △3,717人 |
世帯数 | 3,968世帯 | 3,154世帯 | △814世帯 |
復興のトップランナー
しかしながら、若い人を中心に一致団結した活動により、女川町は「復興のトップランナー」と位置付けられています。復興庁の「がんばれ復興!! まちづくりトップランナー」によれば、
○中心部エリアにおいては、津波復興拠点整備事業を導入。重点的な先行整備により、平成26年度末の駅周辺まちびらきを実現見込み。(同時にJR石巻線も再開)
→津波被災地における商業・業務系エリアの復興としてはトップランナー○ほぼ全ての津波被災エリアと高台移転地を対象とする被災自治体最大規模の区画整理(計画面積合計226.4ha)。整備可能な地区からの段階整備により早期復興を目指す。
→一部地域において、平成25年度の災害公営住宅整備、平成26年度上半期の宅地供給を実現
との記載があります。”津波によって流されてしまった低平地の復興が最も進んでいる街”ということですね。
実際に、2015年3月に「JR女川駅」開業、2015年12月には、テナント型商店街「シーパルピア女川」と「町まちなか交流館」駅周辺のまちびらきが実施されています。
女川の復興計画
それではなぜここまで復興が早いのでしょうか。その理由は、
女川町の復興計画が進んだ理由は「防潮堤は作らないと意思決定したこと、みんなが町の復興を願っている時期にいち早く土地の権利を放棄させ区画整理を進めたこと、継続的に話し合う場が設けられていること」の3点だという。
特にポイントとなるのは「話し合う場」だ。「女川町復興まちづくりデザイン会議」が設けられ、2014年10月までに15回開催されている。有識者とともに町長から住民までが参加して、町のゾーニングからシンボルとなる建造物のデザインまで、町全体の方向性を話し合っている。女川のまちづくりには小中学生も 参加し、30代、40代が中心となって動き、町の年長者から、「60代は口を出さず、50代は口を出してもいいけど手は出さず」と言われた上の世代が支えているのが特徴だ。震災後の2012年に初当選した須田善明町長も42歳と、まちづくりの中心になっている人々と同世代だ。
引用:東北復興新聞(http://www.rise-tohoku.jp/?p=8884)
と解説されています。上記記事にある「復興まちづくりデザイン会議」では、
こうしたまちづくりの将来イメージを細部に渡るまで、住民・行政・専門家が一丸となって全体の方向性を策定して、まちづくりを進めています。具体の全体計画のイメージが共有されることによって、実際に使い始める住民の動きが活性化するという相乗効果が生まれています。
被災地・女川を見て歩く
今回は、そんなすごいスピードでまちづくりが進んでいる女川町に訪れた際に、立ち寄るべき場所をご紹介したいと思います。
女川駅・にぎわい拠点エリアを見る
引用元:http://www.town.onagawa.miyagi.jp/hukkou/nigiwai_map.html
女川町の計画では、人々の住む家は安全な高台に整備し、低平地に女川駅を中心とする「にぎわい拠点」を整備し、公共施設や商業・観光施設などを集めるという、コンパクトな市街地形成を目指しています。
2015年3月に新女川駅が誕生し、2015年12月に駅前商店街も完成。駅前エリアはハード整備がかなり進んでおり、未来の街が立ち現れてきています。
女川駅は、温浴施設の「ゆぽっぽ」に入ることが出来ます。屋上から見える駅から海へと向かうプロムナードはとてもカッコ良いですね。
「テナント型商店街 シーパルピア女川」は、すでにテナントは埋まっており、八百屋さんからミニスーパー、居酒屋さんまでそろっています。

プロムナードに面して建てられた「女川町復興まちづくり情報交流館」もオシャレです。中では、女川の復興計画の模型を見ることが出来ます。
引用元:http://flaghive.com/matatabi/information.php?post_id=00000294&page_num=&sort_num=0
海岸沿いには、横倒しになった鉄筋コンクリート造の旧女川交番が、今も残されています。これは震災遺構として保存される計画です。
女川の幸を食べる
女川は漁業の街ですから、当然そこで獲れる新鮮な海鮮を食べたいですよね!!是非おすすめしたいお店が2つあります。
1つ目は「おかせい」です。
水産加工会社の「おかせい」が、併設の食堂で出している海鮮丼は、安くてボリューム満点!!
活きのいい海の幸が気前よく盛られ、1,200円とリーズナブル!ヴォリュームも満点です。
名称:おかせい
住所:女川町小乗浜字小乗115
営業時間:11:00~16:00頃(水曜定休)
TEL:0225-53-2739
HP:https://www.facebook.com/osakanaichibaokasei
そして、2つ目は「ニューこのり」です。
女川町の町外れにある「活魚ニューこのり」は、観光客にも安心してオススメできる海鮮メインの食堂。地場の魚介を使った天丼やクジラ刺身、牡蠣が旨いです。初夏~夏は殻ウニも楽しめます。
定番人気は活穴子の天丼。地元の漁師から直に仕入れたアナゴを丸々一本天ぷらにし、野菜天などと共に、豪快に丼にしたもの。ふんわり肉厚のアナゴが、サクッとした衣に包まれ、甘辛いタレで仕上げられています。これは絶品!
一般的にイメージする丼モノと比べて、ちょっとボリュームが多いので、念頭に入れておくとよいかもしれません。
名称:活魚ニューこのり(かつぎょにゅーこのり)
住所:女川町小乗浜小乗87-2
営業時間:11:00~19:00(火曜定休)
TEL:0225-53-2134
HP:http://www.new-konori.jp/
船で金華山にも行ける!!
さらに日曜日・祝日限定ですが、女川港から金華山にも行けます。
引用元:https://www.city.ishinomaki.lg.jp/cont/10452000b/-kanko/-kankomap/d0130/20150814103511.html
牡鹿半島の海上に浮かぶ霊島・金華山は、東奥三大霊場として知られている信仰の島です。
とにかく鹿がいっぱいいます。「神の使い」として大切に保護されているのです。さすが牡鹿半島という名がつくだけあります。
そして、3年続けてお参りをすればお金に不自由しないといわれる黄金山神社があります。島から見るコバルトブルーの海はとても気持ちが良いです。2時間程度あれば大体見ることができるので、是非行ってみてください。
問い合わせ先は下記の通りです。
名称:潮プランニング
住所:宮城県牡鹿郡女川町鷲神浜字鷲神232
営業時間:日曜・祝日のみ 「午前11時女川港発・午後1時金華山発」(往復一人3,000円)
TEL:0225-98-9038
HP:http://www.ushio-planning.co.jp/
運動公園エリアの住宅群を見る
さらに、もし建築にご興味があるのでしたら、建築家の設計した仮設住宅・災害公営住宅を見学することもおすすめします。

運動公園エリアには現在、仮設住宅・災害公営住宅が建設されています。運動公園として使用されていた土地を住宅用地に転用することで非常に素早い住宅整備に結びつけました。
坂茂設計の仮設住宅です。コンテナを積み上げてつくられています。
断熱性が非常に高く、他の仮設に比べて格段に住みやすくなっており、建設当時から新しい仮設住宅として注目を集めました。野球場の中に建設されています。
そして、上記の坂茂の仮設住宅に隣接して、遠くに海を望む高台に200戸の災害公営住宅が建っています。
竹中工務店設計の災害公営住宅です。運動公園のトラック内に建設されています。駐車場が丸くなっていて、面影が見えますね。
敷地内に多数あるベンチや老化の一部が広くなっていたりと、コミュニティの醸成に工夫が凝らされた住宅です。
建築に興味のある方は以下に被災地の建築をまとめてありますのでご参照ください。

最後に!!
以上、女川町についてご紹介しました。
今回紹介した施設はまだまだ序の口。他にも新しい小中学校や、役所、高台の住宅地などたくさんの計画が進行中であり、完成までにはあと数年はかかります。
しかしながら、震災から5年経ち、ようやく徐々に町としての姿を取り戻しつつあります。
「防潮堤を作らない」という選択をしたことで、低平地にはかなりの土が盛られており、元の姿が想像できないくらい街の地形が改変されていることが印象的です。
人口減少率1位からどのような姿を10年後、20年後見せてくれるのか。
言い方は悪いかもしれませんが、女川町は国の多額の税金が投入されている街でもあります。将来、この街の将来が「少子高齢化」という日本全体の問題を解決するための旗振り役になっていることを願います。