やあやあ、能ある鷹h氏(@noaru_takahshi)だよ。
最近巷でよく聞く「サブカル系」という言葉。
私自身が好きな音楽や趣味が世間では「サブカル」として分類されていることが多いのですが、この言葉って「どういう意味なの?」って疑問に思うことないですか。
なんとなくはイメージ出来るんだけど、うまいこと言い当てられない不思議な感覚。
キーワードは『隠れ家カフェ』『黒縁メガネ』『マッシュルームヘア』『トイカメラ』『フェス』みたいな。マイノリティであることをアピールしたがるイメージ。
対極にあるのはなんだろう、EXILE、かな。
一応ネットで調べてみると、「メインカルチャーに対するカウンターカルチャーである」とか「元々はSFやオカルトもサブカルに含まれていた」とかサブカルの歴史観が出てきますが、どうもしっくりこない。
最近では「サブカル」という言葉が指す方向性が曖昧になっているんじゃないかと思います。
こんなにも頻出するワードにも関わらず定義が共有されていないがために、


…みたいな流れで、その定義からいちいち話し合うのって正直面倒臭くありませんか?
そこで、今回は自分なりのサブカルの解釈を綴ってみたいと思います。
別に私は、サブカル界のこれからを背負って立つオシャレクソ野郎伝説でもなく、メディア文化やネット社会学の研究者でもなく、ただのアートやアイドルが好きな一端の人間なわけですが、自分が本当にサブカル系なのか否かも含めて、今までもやもやしてきた「サブカルの定義」に今宵、終止符を打ちたいと思います!
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サブカルって何だ??
Wikipedia先生によれば、
サブカルチャー (subculture) とは、ある社会で支配的な文化の中で異なった行動をし、しばしば独自の信条を持つ人々の独特な文化である。「サブカル」と略されることが多い。
かつて文化と考えられたものは、ハイカルチャー(学問、文学、美術、音楽、演劇など)であり、ブルジョア階級や知識人、教養ある人々に支持されるものであった。文化を享受するには一定の教養が必要であり、少数者のものであった。
日本では「ハイカルチャー対サブカルチャー」という文脈においてサブカルチャーという言説が用いられているが、欧米ではむしろ、社会の支配的な文化(メインカルチャー)に対する、マイノリティの文化事象を指す言葉として使われている(この用語としてはTheodore Roszakが1968年The Making of a Counter Cultureにおいて用いたのが早い用法である)。
日本では特撮、アニメ、アイドルといった趣味を指す場合において用法が見られる。それらは1980年代に一般化しており、サブカルチャーとして定義するのは当初、拡大解釈だった。現在では大衆文化され、大衆文化の一つとしてあげられる。欧米の研究ではこうした文脈での日本のサブカルチャーは、サブカルチャー研究の領域というよりも、むしろ「メディア文化」研究の領域に含まれる。
つまり、結局は「サブカル=大衆文化」っていう解釈になるんですかね。
でも、現代でサブカルを自称している人々を見ていると、むしろ「大衆文化(ポップカルチャー)」と「サブカル」は対立するものとして認識されている気がします。
例えば、80年代頃にはアイドルという分野は「大衆文化=サブカル」に属していたけれども、現在は同じアイドルでもAKBとか乃木坂は大衆迎合型で、BiSとかでんぱ組はサブカルみたいな分類がなんとなく出来ているわけです。
邦楽ロックもこれに近い流れがあって、昔は「ロキノン系=サブカル」という分類に属していたけれども、同じロキノン系でもBUMPとかアジカンは大衆迎合、キュウソネコカミとかかまってちゃんはサブカルみたいなね。
つまりどんどんサブカルって細分化しているんじゃないかと。
どこまで行ってもマイノリティを求める心理がサブカル系なのだとすれば、私なりの現代のサブカル系の定義は以下のとおり。
『少しひねくれてて、人と違うところがカッコいいと思っているとっぽいヤツ』
もうこれだけ。ハイカルチャー云々とか、メディア文化云々とか一切関係なし。この定義だけで全てが説明出来ます。
簡単にいうと、サブカル系は、他人の知らない知識を持っている「自分」がカッコいいと思っているのです。
そして、それを日常生活やブログ、SNSで何気なく主張して、自己承認欲求を満たし始めます。その様子が鼻につくから、サブカル系がネタ化してしまうのです。
「他人とは違うものが欲しい」という心理が作用し、 誰でもが簡単に入手できないほど需要が増し、 誰でも簡単に入手できるようになると需要が減少する消費現象を「スノッブ効果」というそうです。
ブランド志向、独占欲、優越感などを満たすために 他人と比べて唯一無二でありたいという願う人間の心理。
まさにこれ。現代におけるスノッビーな欲求の成れの果てがサブカル系という人々なのです。
ちなみに、サブカルとヲタクはほぼ一緒に括られて語られることが多いですが、私なりの解釈で言えば、
サブカル系:人と違うヲタク趣味な俺かっけーー!!っていう状態
ヲタク:世間にどう思われようと俺はこの趣味が好きだ!っていう状態(自分がカッコいいと思っていない)
というように、当初は全く違う人種として捉えられていたように感じます。
元来、ヲタクと言えば「ただ単にキモい存在」でした。なぜなら大衆文化に迎合せずにサブカルチャーに傾倒していたから。
しかし今は、サブカルチャーとその他の大衆文化がごちゃまぜの時代。文化の優劣がつかない状況なので、時にはヲタク趣味が「カッコいいもの」として扱われるようになりました。
例えば、スクールカースト上位にいるイケメンまでもが「俺、アイマス好きなんだよねwいおりんが好きでww」などという個性アピールのためにヲタク趣味が使われたり、どう考えてもサブカルチャーな存在である星野源が世間で爆発的に売れたりするわけです。
サブカル系はそうした「ちょっと人と違う個性派」という部分に敏感に反応し、マイノリティを自分の個性として取り込もうとします。
星野源の気取らない地味さ加減がサブカル女子に大ウケして、その界隈からは王子と崇め奉られる所以はそれです。
サブカル系は基本的にヲタク趣味を「自己承認欲」につなげているところがウザいのです。
何故ヲタク趣味のイメージが変容したのか
その要因は大きく2つあります。
1つ目は、インターネット発達により、アングラな世界にいたヲタク達が情報を発信しやすい様になったこと。
2つ目は、インターネットの発達により、コンテンツの多様化が進んだことで、従来からマスメディアの領域だった音楽・映画・本などの売上が下がり、コンテンツの流行をマスメディアが意図的に作り出せなくなってきたこと。
今までは、エ●ベックスといった大企業がマスメディアの大々的な広告とタイアップしてデビューした歌手は基本的に爆発的なヒットを生み出してきましたが、CDを購入する人が少なくなってきたために、流行性のあるポップミュージックのCD売上は激減、一定数いる音楽ヲタクしか買わなかった様なCDが売上ランキングの上位を占めるようになります。
こうした音楽の売り上げ地位が向上すると、音楽メディアもそうしたマニアックな音楽を紹介し始めることになります。そうして音楽ヲタクの地位は少しずつ上昇していき、「少し変わっててカッコいい」と捉えられるようになりました。これがアイドルであり、ロキノン系と言えます。
何より象徴的だったのは2015年の紅白でしょう。μ’s、セカオワ、星野源、ゲスが出るなんて、10年前では誰も考えられなかったことが実現したわけです。
それに似た現象が映画、本などどのコンテンツでも起こった事によって、相対的にサブカルのポジションが上昇していきました。
この流れと合わせてもう一つ特筆すべきことは、「アートのサブカル化」です。
上記の流れによりアニメ、アイドルなんかはサブカルチャーから大衆文化に変貌を遂げた一方で、以前はハイカルチャーとして財力と教養がなければ嗜めなかった芸術の分野が「サブカル化」してきたように思います。
「美術館」に行くのが趣味ですというと一般の人に受け入れ難い反応をされる一方で、アートイベントや芸術祭に行くとサブカル女子がたくさんいるのはまさにこれで「芸術という未知のの分野に興味ある私、ステキ」という心理が働いているものと思われます。
もちろん美術館が増えたり、村上隆のような作家がヲタク趣味をアート作品に昇華したり、アイドルがアート好きを自称し始めたり、インスタグラムのようなオシャレ写真を公開するSNSの増加したり、BRUTUSのような雑誌がアートを頻繁に取り上げたりすることから、アートも徐々にサブカルからまた大衆文化へと変わっていっているように思います。
サブカル系の地位の変化
こうして、アニメや特撮、アイドルといったマニアックなコンテンツは生粋のヲタク達だけのものではなくなり、ライトユーザー・にわかファンが「サブカル系」として相乗りしてくるようになりました。
そして、調子に乗ったサブカル勢は「少し変わっててカッコいい私」と前面にアピールする様になります。
しかし、どの世界も調子に乗った奴は叩かれる。
「サブカルを気取ってファッションにして見せる」そんな層が世間で軽くバカにされる様になります。
そうしてサブカルは、「サブカル系=少し変わってて俺カッコいいみたいな顔をしてるクソ野郎」という若干バカにしているキーワードへと変わりました。
似たようなカテゴリに「意識高い系」があります。彼らは有名人との人脈や、学生団体代表といった尊敬されそうな経験を積み上げていくことで自己承認欲求を満たすタイプの人々のことを指します。
それが自分の実力と伴っていない場合はよく他人から揶揄される対象になるわけですが、ある意味、自分の夢に正直に生きているわけです。
しかし、「サブカル系」は違います。
ただのひねくれもので、メジャーな文化を冷めた目線で見ているところにカッコ良さを求めているから、その生き方自体が「ウザい」というレッテルが張られた場合は、ただの「にわかヲタク」にランク付けされるようになります。個性的を目指す没個性型人間なんて揶揄されることもあります。
最近ではむしろ「ヲタク>サブカル」として認識している人もいるのではないかと思います。
なぜなら「ヲタク」はキモい部分もありますが純粋で向上心も高く、ある意味で「意識高い系」にみられる正直さがあるからです。
それでもサブカルが好きだ!
振り返ってみると、私もこのサブカル系の定義にバッチリ当てはまります。私もヲタク趣味をキャラづくりに使ってるじゃないかと。
私もたまに会社とかでアイドルめっちゃ好きアピールをするわけですが、ライブではオタクに鼻で笑われるレベルですし、要するに大衆の中での「ちょっと人と違う私」のキャラづくりのためにやっている部分があるかもしれない。このブログでもアイドルの記事がガチヲタ勢にディスられたりするし。
このある意味卑屈な精神はまさにサブカル系そのものではないのかと。マイノリティを好む生き方は自分の性格そのもの。星野源も昔から好きだし。
……でも、いいじゃない、ひねくれていたって。「個性」を求めるのは人として当たり前のこと。
人からバカにされているからと言って、自ら好きになった趣味から離れていいの?
それで離れてしまったら、真の「にわかヲタク」ですよ。それこそ薄っぺらい嘘で固められた、没個性で見せかけだけのクソ野郎ですよ。
サブカルという括りは自分で名乗る物では無く他人から与えられるものなので、自らサブカルを否定しても世間様がそうだといえばサブカルの呪縛からは逃れられません。
「サブカル≒にわかヲタク」でいいじゃないですか。にわかでもガチでも同じモノが好きだったらサブカルもヲタクも仲良く楽しくやっていきましょうよ。マウンティング合戦してなにが楽しいんですか??
心からその趣味が好きであれば1人でも、また同じ物を心から好きな人と理解しあい自分の好きな物をより楽しんでいけると思います。
趣味は他人と比較する物では無く、自分が楽しめるかどうかにおいてのみ優劣が存在するのです。
最後に!!
以上、サブカルの定義をしようと思っていただけなのに、なんだかかなりこじらせた記事になってしまいました……。
他人からどう思われようと、自分が好きだ!と思ったことに正直に生きる。これこそが真に楽しい生き方なのではないでしょうか。
これからもサブカル系として生きていくことを誓った鷹h氏なのであった…。
以上だよ。