
やあやあ、能ある鷹h氏(@noaru_takahshi)だよ。
最近被災地の現場を巡ったので、復興関連の話題に触れたいと思います。
今、被災地の復興まちづくりはどうなっていると思いますか??最近ではテレビやネットで取り上げられる機会も減っているので、あまりご存知ない方も多いかもしれません。
震災から5年以上が経ち、被災当初は47万人いた仮設住居に住まわれていた方々や避難生活を送っていた方々も、2016年10月には13.8万人にまで減ったと言います。
福島県を除いてですが、高台移転のための造成工事が完了し、災害公営住宅も多く完成を向かえて、新しい生活再建に向けた状況が徐々に整ってきたことは本当になにより喜ばしいことです。
低地部でコツコツと進められてきたかさ上げ工事や防潮堤建設工事も進んできています。
実際に大きな被害を受けた被災地の現場に行ってみると、イメージ図やテレビの映像では分からないような、とてつもないスケールの土木事業に圧倒されます。
山が丸ごとなくなり、海辺は丘になり、15m近い垂直の防潮堤が海沿いに建つ。
以前の風景を知っていればいるほど不思議な感覚です。
こうした大規模な土木工事については、漁業を生業とする住民の利便性や防災上の観点、そのほとんどが国庫負担という事実を考慮すると、現在ではかなりセンシティブな話題です。住民と行政が対立してなかなか計画が前に進まない自治体も多く見受けられます。
こんな計画で本当に住民の安全や利便性が確保できているのか、国家予算の無駄遣いではないのかと、新聞や雑誌では批判的な記事が多く見受けられます。
その一方で、壊滅的な被害を受けてからのほとんどゼロベースからの復興は、戦災以降ほとんど前例がなく、巨大スケールのまちづくりは試行錯誤の中で進められてきた経緯があります。
未曾有の災害の中で、先が全く見えない状況で、多くの人間が関わり、知恵を絞り、将来に向けてなんとか回答を出そうと考えて生まれた結果が、これからようやく姿を現そうとしているわけです。
そうした類を見ない規模の復興事業から何を学ぶことが出来るのか。メディアの論調にのって頭ごなしに批判するだけでなく、機会があれば是非一度自分の目で現地を確かめてほしいと思います。
今回は各地で進められている復興工事の中でも、特に象徴的と思われる復興事業をピックアップしましたので、メモしておきます。
東北の被災地の現状を見に行きたいけどどこに行けばいいの?
どの地域が震災復興の中で特徴的な動きをしていたの?
といった復興ツーリズムを計画する際の参考にして頂ければ幸いです!
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復興事業のまちづくりについて
まず簡単に復興のまちづくりではなにが行われているのかを整理します。
津波被災地の復興事業はざっくりいうと3つの段階に分かれています。
- 被災した住民を高台や安全な場所に移転させる ⇒山の造成工事、低地のかさ上げ工事
- 地域全体の安全性を確保する ⇒防潮堤工事、低地のかさ上げ工事
- 安全性を確保した場所に、住宅や公共施設を建設する ⇒建築工事
既に3番の建築工事まで進み、ハード面の復興が完了した地域もあれば、まだ1番の高台移転先の造成工事が進んでいる地域もあります。
これらの工事を進めるためには、用地買収のために地権者の権利関係を調整する必要があったり、土地買収や工事にかかる費用を用立てする必要があったり、住民に計画の理解を得る必要があったりするため、工事着手までには時間がかかります。
迅速な復興という想いは誰しも持っているものですが、各地域でばらつきが生じているのはこのためです。
いずれにせよ、復興のハード整備としては造成工事と防潮堤工事と各種建築工事が3本柱となっています。
巨大防潮堤について
まず津波に対応するために考えられたのが「防潮堤」です。
東日本大震災でも万里の長城と呼ばれた宮古市田老地区の防潮堤があえなく破壊されたニュースが多くの国民に衝撃を与えました。
現在は再び津波の被害を避けるためにほとんどの街で新たに防潮堤が建設されています。
震災後、建設が計画されている防潮堤の建設距離は岩手69.4km、宮城243.9km、福島67.3km。
3県の海岸線で、約400kmにもわたって防潮堤が建設されていることになります。総工費は約1兆円にも及びます。
現在は、東北の海岸線に巨大な壁を作ることが現在国の一大事業となっているわけです。
防潮堤の高さ
防潮堤の計画高さは、過去の事例を基に、数十年から百数十年おきに起こる大津波(L1津波)の高さを予測し、2011年に設定されました。
地形や過去の津波を踏まえた計画高は海抜2.6~15.5m。津波のせり上がりを考慮して1m分高く設計されました。
防潮堤の高さはL1津波に対応させるという方針なので、東日本大震災のような数百年に一度の震災級津波(L2津波)は防御できません。
防潮堤建設はなぜ揉めているのか?
本来、防潮堤は住民の生活を守るために建設されるので、あって困るものではないはずなのですが、今回の津波があまりに大規模であったため、計画する防潮堤の高さも従来よりも大きいものになってしまいました。
そのことによって以下のような弊害が生まれています。
- 住宅から海が見えなくなるため、海の状況が分からない
- 希少な海岸の生態系が壊滅する
- 構造物で海岸浸食などが悪化する
- 地域で培われた自然資源を活かした産業の継続を困難にし、地域社会の経済基盤をも失う恐れがある
- 人と海とが離れていく。海と共生するための先人の知恵が詰まった伝統文化が失われる
海岸部に住んでいた方々は海と共生することで生活してきた方々なので、いくら安全のためとはいえ、防潮堤が人々の生業を壊すようなことは受け入れられないということです。
安全性か、暮らしやすさか、その天秤の中で行政と住民が揉めているわけです。
衝撃的な巨大防潮堤5選
400kmにも及ぶ防潮堤建設の中で特にビックリしてしまう防潮堤をピックアップしました。
岩手県大船渡市 門之浜漁港
大船渡市門之浜の漁港を取り囲む防潮堤。
高さは12.8m。黒い部分がこれまでの5mの防潮堤、その上の白い部分が新たに増築された部分です。
単純に長さが足されているので新基準がとても分かりやすいですね。
このボリューム感の防潮堤が漁港を取り囲むとなると海と陸が分断されてしまうという意見にもうなずけます。
宮城県石巻市 長浜海岸
宮城県石巻市にある石巻漁港の隣にある海岸防潮堤です。階段状になっているので、ピラミッドとかボロブドゥールのような雰囲気です。不思議なデザインの防潮堤ですね。
垂直ではない分、ある程度圧迫感は軽減されますね。敷地に余裕のある場所ではこういった防潮堤が建設されています。
例えば、宮城県、福島県の平野部ではこうした防潮堤が海岸線に沿ってずーーーーっと続いています。
これは宮城県山元町の防潮堤の航空写真ですが、圧巻の光景ですね。
宮城県気仙沼市 沖の田地区海岸 / 野々下海岸
海側から内陸を見て、正面左側が宮城県土木部が管理する防潮堤(沖の田地区海岸)。中心付近から右側は林野庁宮城県北部森林管理署が管理する防潮堤(野々下海岸)です。
林野庁と宮城県、隣り合った防潮堤を建設したのですが、最初に建設された防潮堤は直立壁タイプでしたが、続いて建設された防潮堤は傾斜壁タイプとなっています。
形状の異なる防潮堤を建設したため防潮堤の接地面が合わず、約8,000万円の追加予算(国費、林野庁負担)が発生したそうです。縦割り行政を象徴した防潮堤と呼べそうですね。
宮城県気仙沼市唐桑町 大沢地区
唐桑町の北端にある荒谷前海岸には、海抜11.3mの傾斜堤が建設されています。
グネグネ曲がっておりモンスターのよう。一つ一つのパーツがジグソーパズルのようで面白いですね。
ドローンでの映像。上部が歩けるようになっており、出来るだけなだらかになるように設計されています。
岩手県宮古市鍬ケ崎地区
岩手県宮古市鍬ヶ崎地区に建設中の高さ10.4mの防潮堤です。

海が見えるようにと、目線の高さに透明アクリル板をはめる小窓(縦130cm、横50cm)が18mおきに設置されています。県の有識者委員会の「景観や環境に配慮を」との意見を踏まえた対応とのことです。
うへえ、窓が小さ過ぎて、息苦しい。。。近付かないと海が見えないのでは意味がないような…。
この防潮堤のイメージは完全に「進撃の巨人」ですね。
超大型巨人が出てきて、壁が壊されないことを祈るばかりです。
大規模造成について
続いて、まちづくりにおいて欠かせないのが「大規模造成」についてご紹介します。
復興まちづくりで最も重要なことは安全な場所に平らで使いやすい土地を造成することです。
造成工事自体はニュータウン開発などで昔からある手法ですので、特に目新しいモノではないのですがその規模が復興事業の場合、規模感が桁違いです。
造成事業はたくさんの土地を一度に工事する必要があるため、多くの地権者が関係してきます。特に被害が大きかった地域ほど関係者が多くなり、協議や調整にとても時間がかかってしまうため、復興に遅れが生じることが懸念されました。
そこで、造成事業を進めるための手法として、「防災集団移転促進事業(防集事業)」「被災市街地復興土地区画整理事業」「津波復興拠点整備事業」といった仕組みが導入されて、手続きの簡略化が図られることによって、各地で迅速な工事が進められるようになっています。
各事業の詳しい話は専門的なので割愛。国交省のHPに詳しくまとめられています。これらの事業を組み合わせることで、迅速かつ自由度の高い計画が可能になったということです。
防潮堤とは違い被災地全体で何㎥の土が動いたか等は判断できませんが、各地で山がなくなったり、別のところに山が出来たりと大規模な街の改変が起こっています。
大規模造成工事の何が問題視されているの?
本来宅地整備のためには必要不可欠な造成工事ですが、今回の津波被害があまりに大規模であったため、計画する切土量、盛土量がとてつもなく大きいものになってしまいました。
そのことによって以下のような弊害が生まれています。
- 造成に時間がかかりすぎるため、住民の移転先が確保できない。
- 造成に莫大な費用がかかる
- かさ上げ高の安全性が確保されているか不明
- 街の景観をがらっと変えてしまう
調整が簡略化できるとは言っても、多くの関係者がいれば時間はかかってしまうもの。
とにかく大量の土の移動が必要なため、高台移転のために削った土を低地の嵩上げに利用する等、出来る限り効率的な土量計画が求められています。
劇的な造成工事3選
どの地域でも造成工事は行われているのですが、一体的かつ大規模に街の改変を行っている3つの地域をピックアップしました。
岩手県・陸前高田市
3県で最大規模のかさ上げ工事を進めている岩手県陸前高田市。完全に要塞ですね。
その面積は2カ所で302ha、事業費は桁違いの1200億円。
平均7・4m、最大12mの盛り土の上に、住宅地や商業地を整備するために約1100万㎥(東京ドーム9杯分)という膨大な盛り土量の造成を行っています。
これだけの量の土を迅速に動かすために導入されたのが「巨大ベルトコンベヤー」。
総延長約3km。高さ20mの橋げたや橋脚。これが仮設の構造物だと考えると、これだけでも尋常じゃない事業がなされているのが分かるかと思います。
ベルトコンベヤー自体はすでに解体されてしまいましたが、コンベヤーは山一つを切り崩して出た東京ドーム4杯分の土砂504万立方メートルを市街地まで搬出し続け、ダンプカーなら9年かかる作業を1年半に短縮したそうです。
いやあ、大規模な計画ですね。高さ7.4m以上のかさ上げ高でも東日本大震災の津波到達ラインより下だというのだから、当時の被害状況が壮絶なものだったと推し量られます。
被害の大きさ、そしてその後の街の改変、陸前高田の計画が図抜けてすごいことが分かって頂けるかと思います。
宮城県南三陸町志津川地区
巨大津波で町内全戸数の6割が全半壊した宮城県南三陸町。
10トンダンプカー60万台分に相当する「盛り土の山々」が連なります。
南三陸町は、町全体が壊滅したということもあり、非常に大きな復興の工事が続いています。防災対策庁舎以外の建物は、ほぼ取り壊されて、大規模なかさ上げ工事と防潮堤建設が計画されています。
保存をめぐる論議が続く高さ12メートルの防災対策庁舎も、すっかり盛り土に取り囲まれています。この庁舎は2031年まで保存されることが決まっており、その後壊すか保存するかが議論されるとのことです。
町の計画によると、志津川市街地の復興後のイメージは、海と一体化した「回遊性と親水性のある街並み」。グランドデザインは建築家の隈研吾氏が担当しています。
最大11メートルのかさ上げをしてバイオマス産業関連の施設や商業・観光施設、復興祈念公園などを整備するそうです。
宮城県女川町
2016年3月、他の被災市町村に先駆けて「まちびらき宣言」を行った宮城県女川町。復興のトップランナーなんて言われることもしばしば。
町の中心部は高さ約15メートルの津波に襲われ壊滅状態となりましたが、整備計画の設計を終えた箇所から順次着工していく「ファースト・トラック方式」の手法で、職住分離型の新しい街並みが形成されつつあります。
これら一連の工事でかさ上げされる総面積は、東京ドームのグラウンド約170面に相当する217ha。切土量および盛土量は各500万㎥を超えているそうです。
女川町の復興まちづくりの特徴は一切防潮堤を作らないこと。
新しいJR女川駅舎は、以前より約200メートル内陸側に移動して、7メートルかさ上げされた敷地に建設されました。この新駅より海側を災害危険区域に指定して居住制限をかけ、テナント型商店街や水産関連施設などを整備。
一方、駅より内陸側の高台には復興住宅や民家が密集する1000戸規模の住宅街を計画しています。
女川町は元々リアス式海岸の谷地沿いに出来た細長い街でしたが、造成後は大きくその雰囲気を変えています。
防潮堤なしで安全を確保するというコンセプトを持ったまちづくりではあると思いますが、街のほとんど全てに手が加えられており、元の地形が全く分からないくらいの“大改造”が行われています。
最後に!!
以上、被災地で見られる大規模土木プロジェクトをご紹介しました。今回ご紹介した地域以外でも同様の復興工事が進められています。
冷静に考えてみれば、津波で流された市街地の多くは、新しく住宅地を作ることをせずに、宅地は内陸や山に方に移されることが多いので、わざわざ沿岸の低地部で防潮堤をつくったり、かさ上げ工事をしたりする必要があるのかという議論は当然あります。
歴史を紐解けば、津波被災地で過去の津波を示す石碑なども多く残されているように、江戸時代の頃は、人々は沿岸部にはほとんど暮らしていなかったわけで、昭和以降に堤防建設が始まるとともに人々は徐々に沿岸部に住み始めてきたわけです。
津波で被害が出たから、高い防潮堤を作ればいい、土地をかさ上げすればいい、という発想には違和感を感じる部分があります。
しかしながら、近代化は、全ての国民の安全性が等しく確保されるべきだという考えでインフラ整備がなされたわけで、被災後も他地域の住民と同様の安全性が確保されるべきという意見もあります。
津波という危険性の孕む土地に住む以上、安全性と利便性を100%両立するまちづくりは出来ないわけですが、どちらの意見も叶えようとするあまり、どちらの機能も満足しない計画になることは避けなければなりません。
また、そうした議論と同時に、復興の過程でこうした議論があったことを、後世に渡って誰からでも分かるように記録しておくことこそ、最も重要なことなのではないかと感じています。どんな形であれ、防潮堤も大規模かさ上げもいざ完成して数十年経てば、それが当たり前のものとして人々に享受されることになってしまうと思います。
だからこそ、関係者以外の多くの人に工事中の今の被災地の現状を見てほしいし、こうしたプロジェクトを見て、これまでの経緯を知って、その計画の是非を自分なりに考えてほしいです。
それだけでも十分被災地に訪れる意味はあると思います。
被災地に建設中の巨大防潮堤は、刑務所の壁にも、万里の長城にも、はたまた進撃の巨人に登場する壁にも見えますが、この何も語らない巨大な壁こそ、ある意味で今回の復興事業を象徴するとても示唆的な観光資源になるのではないかなと感じています。
東日本大震災から5年以上が過ぎて、この国のほとんどは、震災がなかったかのように、大規模な開発や経済優先の社会に戻りつつあります。
それは資本主義として当然のことですが、被災地にてコツコツと進められてきた復興の過程を知っておいて損することはないはず。
こうした巨大なスケールの構造物を見る機会もなかなかないと思いますので、まずは是非一度工事中の期間に復興ツーリズムとして被災地に行ってみてはいかがでしょうか。
絶対に何か感じるものがあるはずですよ!!