日本の市街地開発の約1/3の面積は「土地区画整理事業」で出来ているという事実。

やあやあ、能ある鷹h氏(@noaru_takahshi)だよ。

みなさん”土地区画整理事業”ってご存知ですか?

知らないという方、街中でこういう看板とか見たことありませんか?

IMG_9882_2引用元:http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-377.html?sp

見たことないよっていう人も、”区画整理”っていう言葉からなんとなーく「きっと街の区画を整理してきれいにしてくれるのね!」くらいのイメージは思い浮かぶんじゃないでしょうか。

 

実は私、”土地区画整理士”の資格勉強をしているのですが、正直いってかなり退屈です。

なぜなら土地区画整理事業にあまりロマンを感じないからです。

土地区画整理事業は“化石事業”と揶揄されるように、日本で何十年も前から進められてきた事業で、内容もガッチリ確立されていますし、実務的には地権者と換地先の交渉をしたり、宅地の設計を進めながら事業計画を見直したりと、地味な部分で淡々と進んでいくので全く新鮮味を感じません。

 

なにか新しい知識を身に付けるならば、やっぱり魅力あふれるプロジェクトに感じられた方が俄然勉強に対するやる気も出てきます。

そんなわけで、土地区画整理事業にもっと興味を持てないかなあと歴史などを調べてみたのですが、

実は土地区画整理事業って長年続いている分、時代に合わせた柔軟な変化があったり、実は日本の既成市街地の約3分の1が区画整理事業だったりして、現代日本の街の景観は間違いなく区画整理事業によって形作られていることを知りました。

ということで今回は、「土地区画整理事業」にスポットを当てて、この制度がいかに日本の実際的な都市形成に貢献してきたということについて具体例を挙げながら、理想的な都市開発のあり方について、考えてみようかなと思います!



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「土地区画整理事業」=「都市の新陳代謝」

皆さんは“新しい街”と“伝統的な街”どちらが好きでしょうか。

新しい街といえば、ニュータウンのような大規模な街が思い浮かぶかと思いますが、そこまで行かなくても、日本中の市街地では多くの土地区画整理が行われており、高機能なインフラが整備された宅地が次々と出来上がってきました。

一方で、伝統的な街といえば、細い路地、密集した木造家屋なんか思い浮かびます。京都はもちろん、川越や金沢なんかの風景が思いつく方もいらっしゃるかと思います。

私のイメージでいえば、“新しい街”には土木的なロマンが、“伝統的な街”には建築的なロマンが詰まっていると考えています。

なぜなら新しい街を建設しようとした場合、計画の骨子となるのは土木事業です。通りやすい幅の広い道路、矩形で平らな宅地造成、上下水・電気・ガスといった基本的なインフラ整備などがこの街の主役です。

土木の世界において、造成した更地に付された「基盤」という呼び名に対して、建築は若干軽蔑的ニュアンスを込めて「上物」と呼ばれ、建築は「都市的な密度を作り出すだけの要素」として計画の出来やデザインなどはどうでもよいと捉えられがちです。

新しい街に必要とされる建築的想像力といえば、せいぜいマスタープランやパースに代表される表層的なイメージ図に過ぎず、計画を進めるための担保にしかなっていないことが多いと思います。

一方、建築の創作的活動において、参照されることが多いのは「地域固有の歴史や文化」です。敷地周辺にあるコンテクストを読み込んで、いかに地域に根差した建築を作るかということに主眼が置かれることが非常に多いと思います。その意味で、歴史的様式を受け継いだ家屋が立ち並ぶ伝統的な街における主役は、間違いなく“建築”です。

こうした流れの中で、よく日本の都市計画は「地域の実情に合わない画一的な仕組みによる開発が進んできたために、地域固有の風景が失われてきてしまった」とか「実効性や拘束力に乏しく、豊かな都市形成に寄与してこなかったんじゃないか」なんていう批判が見受けられることもしばしばあります。

確かにそうした批判にもそれなりの根拠があって、土地区画整理や再開発の結果、均質で特徴のない空間が増えたことは否めず、豊かな都市空間になったかと言われると“?”がつくところもあります。不動産事業としての開発になるので、保留地処分が上手く進まず、事業収支的に失敗に終わった事業も数多くあるでしょう。

しかしそれでも日本では、スクラップアンドビルドを繰り返しながら新しい街を開発する動きが続いています。古いものを大切に使いつづけるというヨーロッパ的な感覚はそこまで浸透していのが現状です。

都市開発は、いつの時代だって社会情勢上の要請の中で、何を残し、何を作っていくかという問いを抱えながら進められています。

土地区画整理事業や再開発事業は都市の新陳代謝を続けるための手法として活躍してきたわけです。

 

急に私情を挟みますが、私は元々ニュータウン出身ということもあり、新しい街が好きです。

確かにニュータウンには、様々な歴史が重層した昔ながらの街にある独特の趣はありませんが、実際的な生活を考えると、しっかりとしたインフラが整っていて、構造的にも丈夫なマンションが立ち並んでいる街の方が絶対的に快適だし安心ではありませんか。特に子育て世代にとってはこのことは重要視されると思います。

今、引っ越しを考えていて、住みたいなと思える場所は間違いなく「土地区画整理」された後の土地です。

土地区画整理事業ってなに?

まず、土地区画整理事業を知らない方のために簡単な解説をしたいと思います。

国土交通省のHPによれば、

土地区画整理事業とは

(1)土地区画整理事業のしくみ

○ 土地区画整理事業は、道路、公園、河川等の公共施設を整備・改善し、土地の区画を整え宅地の利用の増進を図る事業。

○ 公共施設が不十分な区域では、地権者からその権利に応じて少しずつ土地を提供してもらい(減歩)、この土地を道路・公園などの公共用地が増える分に充てる他、その一部を売却し事業資金の一部に充てる事業制度。

(公共用地が増える分に充てるのが公共減歩、事業資金に充てるのが保留地減歩)

○ 事業資金は、保留地処分金の他、公共側から支出される都市計画道路や公共施設等の整備費(用地費分を含む)に相当する資金から構成される。

これらの資金を財源に、公共施設の工事、宅地の整地、家屋の移転補償等が行われる。

○ 地権者においては、土地区画整理事業後の宅地の面積は従前に比べ小さくなるものの、都市計画道路や公園等の公共施設が整備され、土地の区画が整うことにより、利用価値の高い宅地が得られる。

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簡単にいえば、地権者全員が少しずつ土地を提供し合って、道路や公園などの公共施設を改善して快適な街にしましょう!という制度です。

そして、道路や公園の整備、宅地造成にかかる工事費は、みんなが少しずつ土地を提供して作った保留地を第3者に売却することで賄いましょう!というものです(一部行政から補助金が出る場合もあり)。

”ギブ&テイク”かつ”ラブ&ピース”の精神ですね。

論より証拠ということで、実例を見てみましょう。

事業の名称 :豊中市少路特定土地区画整理事業
施行面積  :約22.3ha
事業施行期間:平成3年度から平成17年度

image12引用元:http://www.pref.osaka.lg.jp/toshiseibi/kukaku/

左側が区画整理前の土地で右側が区画整理後の土地です。以前はぐにゃぐにゃだった道路が広くなって真っ直ぐになりました。それぞれの区画も整っていることが分かるかと思います。

土地区画整理事業の特徴

次に、<なんでこの制度が活躍してきたの?>っていう問いと、<なんでこの制度が批判されているの?>っていう問いにお答えするため、この事業の素晴らしいところとイマイチなところを挙げたいと思います。

素晴らしい点① “都市開発の基本”といえる事業内容

土地区画整理事業の特徴を整理すると、次のようになります。

  1.  【総合性】一定の広さにおいて道路,公園,下水道などの公共施設を整備するとともに、宅地の形状を整える、という面的に総合整備する手法であること
  2. 【公平性】 個別に公共施設整備のために用地買収するやり方に比べ、特定の土地利用者だけが利益を受けたり犠牲になったりすることなく、受益と負担の点で地区内住民を公平に取り扱うことができること
  3.  【汎用性】土地関係の調整を基本とする事業であるために、事業目的が多様であってもこれに対応できること
  4.  【合理性】公共施設の整備による土地価格の増加(開発利益)は減歩の形で事業費に還元できること
  5. 【事業性】 一般的には保留地減歩で生み出された土地を売却することで事業費の一部あるいはほとんどを調達すること
  6.  【民主制】審議会方式(公共施行などの場合)や組合施行方式等を採用し、地区内住民の直接的な参加が保証されていること、ないし地区内住民の参加なくして事業が成立しないこと

ここにあげた特徴から、まさしく土地区画整理事業は都市開発そのものと言える性格を持っているといってよいでしょう。

だからこそ、土地区画整理事業は100年以上にも亘って、全国津々浦々、非常に時間をかけて進められてきたものであり、あたかもゼロベースで都市がつくられるかのようなダイナミックさを感じるのです。

素晴らしい点② 都市開発における使い勝手の良さ

上記のような普遍性がある事業なので、日本において土地区画整理事業は「都市計画の母」と称されているほど、大いなる実績を生んでいます。

同事業が施行されたのは、昭和29年(1954年)。歴史的に古く、戦前から郊外地開発、あるいは関東大震災後の東京横浜の震災復興、第二次世界大戦後の全国的な戦災復興などでも、基本的な事業手法として活用されてきました。

その後の高度経済成長期を中心に全国的に広範に実施され、都市開発の主要な手段として活用されています。

その結果、同事業施行済(換地処分済)地域は、2000年人口集中地区(DID)面積で見れば,ほぼその3割に当たる地域(正確には29.3%)で事業が実施されたことになります。(区画整理がなぜ行われるのか 上より引用)

したがって、用途地域など土地利用規制が現実の都市化に対して実効的なコントロールを及ぼすことができなかったといわれる日本の都市計画において、街区を整える同事業が日本の街並みの形成に多大の実績を残しており、その貢献はきわめて重要なものであったと考えられています。

イマイチな点①:結果として生まれる街が画一的になりがち

一般に、区画整理設計といえば、都市・建築デザインやの専門家からの批判が従来から強いです。

その内容は、簡単に言えば、単調なグリッドパターンの街区設計に終始し、地形や地域的な工夫が見られないといったものです。

しかし、ゼロベースの土地に自由な発想でデザインできる用地買収型の事業と異なり、多数の土地所有者の合意形成を前提とする区画整理の設計は、制約が大きい事業といえます。

ほとんど全ての地権者が不動産価値が向上する換地を望む以上、区画整理設計はグリッドパターンを基本とせざるを得ないかもしれません。

理由は2つあって、

1つ目は、多くの日本人が角地を望むためです。

住宅地としてはもちろん、商業地としても角地の効用は大きいと多くの日本人は考えています。日本の土地評価制度においても、日照、通風、景観等、一方 の間口だけが道路に面した普通の宅地よりも角地が有利と考えられており、普通地よりやや重い減歩負担を地権者の多くも受け入れています。

2つ目は、従前地と換地の位置、面積等を照応するように定められた「照応の原則」です。

法の趣旨は財産権を擁護するために妥当なものなのですが、この原則が時代とともに大きく変化する土地利用に対して区画整理設計の対応を難しくさせていることは間違いないと思います。施行者の街区設計の自由度を妨げて来た大きな理由の1つです。

イマイチな点②:本当に必要か怪しい事業もある

こちらは政治的な話にもなるかもしれませんが、土地区画整理事業の中には失敗するものもあるということです。

土地区画整理事業は、組合施行の場合であれば地権者の2/3以上かつ面積2/3以上の同意がなければ進めることが出来ません。地方公共団体施行の場合ではこのような法律上の制約はありませんが、地方公共団体施行では、都市計画事業として施行されますので、その都市計画の決定に当たっては、公告、縦覧、意見書の提出など民主的な手続で進められます。

そのため、基本的にはほとんどの住民が同意の下、区画整理が進んでいくということになるのですが、当然様々な考えを持っている地権者もいるわけで、換地先の調整がつかず、利害トラブルになることもあります。

特に、地域の中で有力な地権者が主導する区画整理は、その地権者に多くの利益をもたらす区画整理になってしまう場合が多く、地価が右肩下がりの世の中では、街の魅力を向上させるどころか保留地も処分できずに失敗に終わる可能性も大きいです。

社会的な理念なき土地区画整理事業にならないためにも、不動産開発事業経験に長けている関係者がコントロールしていく必要のある事業とも言えます。

土地区画整理事業における「宅地」と「建築」の関係性

上述の通り、土地区画整理事業は都市開発の基本的手法として活用され、その目標としては「土地の高度利用」があります。

なので区画整理の流れは、まず土地が造成され、次に集合住宅か戸建て住宅が建設され、次に学校や商業施設や公共文化施設が、さらには職住接近のための業務施設等が建設されるにいたって、「一般的な都市」になっていくというものです。

だから土地区画整理の根幹には「人が暮らす」ことが必要であり、それが区画整理事業の基礎を形成し、その後の発展のなかで“都市”と認識されるようになります。

この実現のためには、土木的には「インフラ整備された宅地」が、建築的には主に「集合住宅や商業施設というビルディングタイプ」が要求されます。

ここで面白いのは、この「宅地」と「建築」という計画のテーマが、時代と共に変化していくことです。

第二次世界大戦後の都市部への人口集中がもたらした大規模な住宅難、宅地難に対応した大量供給時代のプロトタイプや合理化の提案から、オイルショック以降の社会構造の変化に対応した質の向上、画一化の克服のための間取りの多様性、柔軟性の提案を経て、集合住宅の外観や配置・外構計画による多様性あるまちづくりの提案へ移行し、現在に至っています。

土地区画整理事業の変遷

ここで分かりやすい実例をもとに、区画整理事業の歴史を簡単に振り返ってみたいと思います。

耕地整理から区画整理へ

区画整理事業のルーツは、100年以上も前、ドイツの制度を基にして「耕地整理法」が制定され、区画整理の原型が整いました。そして、耕地整理は、都市化の時代に宅地供給のツールとして区画整理に発展しました。

1.大阪市住吉第二耕地整理組事業

12引用元:http://www.city.osaka.lg.jp/contents/wdu160/web-content/minkan/kouchiseiri/12sumiyoshi2/index2.html

当時の耕地整理によってつくられた町並みです。設計図を見てもらうとかなり狭いことが分かってもらえるかと思います。

耕地整理による区画道路の幅員は、2間(3.6m)、街区に相当する耕地区画は60間(108m)を基準として設計されました。現在の常識では極めて不十分なものでありますが、20世紀初頭の日本の都市内交通の状況は、路面電車が導入され、自転車が普及し始めた段階に過ぎなかったことを思えば、耕地整理の整備水準も当時としては合理的なものであったのでしょう。

120103mandai14引用元:http://binmin.tea-nifty.com/blog/2012/03/post-00d8.html

この地域には多くの長屋が作られています。当時はこうした長屋がメインであったために区画整理も同水準をもとめたものといえます。

ちなみに、区画道路幅員は6mを原則とすることや公園面積を地区面積の3%以上とすることなど今日まで続く区画整理の整備水準の骨格が確定したのは、昭和8(1933)年に内務省から「土地区画整理設計標準」が通達された時だったそうです。

高度経済成長期の区画整理の大規模化

戦後の高度経済成長に伴い、土地区画整理事業は多くの地域で活用されることになります。

2.常盤平団地(千葉県松戸市金カ作地区土地区画整理:169ha)

312be097引用元:http://bluestyle2.livedoor.biz/archives/52029596.html

この時代に目立ったのは、昭和30(1955)年に設立された日本住宅公団(現・UR都市再生機構)による大規模住宅団地の開発です。

住宅公団の開発手法は、事業に先立って開発面積の3割から5割の土地を任意に買収し、それを中高層住宅のための計画住宅用地として集約的に換地する、いわゆる「先買方式区画整理」を採用しています。区画整理としては、大規模な100ha規模の開発を三大都市圏で展開し、以後、「ニュータウン」と呼ばれるモデル的な都市開発を進めていきました。

街区設計として、当初は戸建て用街区を数ブロックまとめて集合住宅用地を設計していましたが、次第に地区の北側や地形を考慮し幹線道路との連携を考えた配置を行うなど技法的に進化していきました。

昭和31(1956)年認可の常盤平団地(千葉県松戸市金カ作地区:169ha)は、当時として先進的な曲線を多用した街区設計を行っています。

CIMG8213引用元:http://unkan641.blog.fc2.com/blog-entry-3.html?sp

この団地には有名なスターハウスというものがあります。

この星型の3層構造マンションは、当時として見れば、かなり斬新な建物でした。

当時のモダニズム建築様式が取り入れられており、その建物と周りの環境がうまく調和した空間になっているところが常盤平団地の魅力となっていると思います。

3.千葉県市原市国分寺台地区土地区画整理(380ha)

kokubunnjidai引用元:http://www.city.ichihara.chiba.jp/joho/0202matidukuri/kukakuseiri/index.html

これは昭和46(1971)年認可の千葉県市原市の国分寺台地区です。

1960年代から70年代にかけて数百ha規模の開発が続く、いわゆる「ニュータウンの時代」の先駆けとなりました。市町村施行や組合施行地区についても大規模化は進み、首都圏外延部で大規模な区画整理が進められました。建設機械の導入による施工技術も開発の大規模化を支えました。

郊外ということで集合住宅は少なめで戸建て住宅が立ち並ぶ風景が形成されています。

昭和43(1968)年制定の現行都市計画法の線引き制度等と連動して、郊外部での区画整理は、いわゆる市街地でのミニ開発に比べ、インフラの整備された優良な宅地を供給していました。

当時の大都市圏の住民は、公団住宅や郊外のニュータウンの戸建て住宅に憧れを持って生活していた時代でもあったともいえます。

街区の大規模化と街並み形成

1980年代から1990年代にかけては、区画整理の大規模化に加えて「街区の大規模化」が進んだ時代です。土地区画整理事業の手法が変化し「申出換地」が一般化してきたのです。

4.港北ニュータウン(1,341ha)

ntkuikizu引用元:http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/chiikimachi/nt/

港北ニュータウンは、住宅・都市整備公団(現・UR都市再生機構)により「横浜北部新都市第一地区・第二地区・中央地区土地区画整理事業」として施行されました。

本来、区画整理は「照応の原則」といって、特別な場合を除き各土地所有者等の希望を聞かずに、照応の原則に従って第三者の判断において公正な案を作成するのが原則です。しかし、この原則にも例外が合って、<住宅先行建設区、共同住宅区、集合農地区、市街地再開発事業区>等への換地は、土地所有者の申し出に基づいて行われます。

これまで原位置に近接した土地に照応させるのが当然だった換地を、「申し出換地」を活用することにより、任意の位置に土地を動かすことが可能になったわけです。

このことにより、区画整理における街区設計の自由度は格段に増し、特に大規模商業施設の進出を促進する地区で導入されました。

0110引用元:http://www.tokyu-tmd.co.jp/facilities/kohoku-tokyu-sc/

港北ニュータウンが本格的導入の先駆けと言われ、以後、埼玉県八潮南部中央地区(平成9年認可、72ha) や浦和東部第2 地区( 平成13年認可、183ha)の商業施設用地の換地設計で用いられ、大規模ショッピングセンターの立地を可能としました。

5.越谷レイクタウン(225ha)

その後「申し出換地」は勢いを増し、大型商業施設だけでなく、「大規模住宅街区の設計」に活かされていきました。

kuusatu引用元:http://www.city.koshigaya.saitama.jp/kurashi/sumai/reikutaun/laketown.html

UR都市機構施行の越谷レイクタウン地区(平成11年認可、225ha)ではURの換地である大規模な住宅街区において、総合的な設計による街並み形成に成功しています。

「環境共生のまちづくり」を標榜するこの地区では、大規模調整池を中心にヒートアイランド現象に対応したまちづくりの工夫がされていますが、戸建て住宅街区では通風や日照等の自然条件をシミュレートし、住宅の設計や配置に活かしています。

DSC_0221引用元:http://www.mansion-mania.jp/bukken/373/496/

そうした工夫から「環境に配慮した住みよいまちづくり国際賞」であるリブコムアワード2009の金賞を受賞した計画です。

これからの土地区画整理事業

以上、ざっくりと歴史を振り返っていると、土地区画整理は制度自体確立されたものでありながら、その時代の要請によって柔軟に対応してきたことが分かりました。

それで、人口減少や経済の停滞と共に大規模な土地開発が減少している昨今、結局この事業ってこれから役に立つの?という話ですが、土地区画整理事業が活きる場所は主に二つあると思います。

1.被災地復興土地区画整理事業

004_il01引用元:https://www.pacific.co.jp/service/planning/develop/modal/004.html

すでに多くの被災地で取り入れられていますが、早期再建の意向がある地権者の土地を造成がしやすい土地に換地して早い宅地整備を可能にしたり、津波で流されてしまった土地を行政が買い上げて、区画整理事業により集約して活用しやすくしたりするといった使い方があります。

こちらは土地区画整理事業が、過去にも戦災復興や震災復興に活用されてきた実績からも、計画にマッチした使い方だと思います。

2.比較的小規模な区域における民間事業

これまで土地区画整理事業は、消費社会の欲求と土木的な想像力の二つの「計画」の間に、これまで揺れ動いてきたということが分かりました。

この中で「建築」に求められていることはやはり「上物」の設計だったという事実も同時に認識できました。

ここに消費社会の現実と、新たに都市を問い直す可能性を失ったと断じるのは簡単ですが、まだ都市開発には、現実の都市を覆す可能性があると信じたいという部分もあります。

そのためには、なによりも「地権者意識」の変革が求められると思います。コンセプトをもった土地区画整理がなによりも重要です。

宅地供給型の区画整理においては、先行的にインフラを整備し、増進の範囲内で事業認可された設計街区内に保留地を確保することから一歩進め、予め保留地の購入者層を想定し、マーケットにあった住宅を設計、宅地とセットで販売していくことが価値向上のためにはなにより必要なことだと思います。

まず、保留地を集約し、住宅と一体化した特徴ある街区設計により保留地の販売を優先することが出来れば出口の採算性を確保することが出来ます。

基本的に土地区画整理事業は地権者の意向を優先する事業であり、保留地の集約と特徴ある街区の設置は、一般街区の換地設計と合意形成のハードルを高くするかもしれませんが、何よりも、早い段階からビルダーと連携した街区設計による街並み形成を進めることが効果的だと思います。

事業当初から、建築物の販売まで取り込むことのリスクは確かに大きいですが、宅地と建物は本来、一体のものであることを忘れてはならないと思います。

米国ではニュータウン建設にあたっての建築家と造成設計者の共同作業が行われてきた歴史からも考えて、不可能なことではないはずです。日本においても小規模な区画整理であれば始めから保留地集約ありきの計画もあり得るのだということを感じさせるプロジェクトが出てくるとよいなあと願っています。

最後に!!

以上、つまらないと思っていた土地区画整理に出来るだけ興味を持とうとして、深堀りしてみました。

停滞する日本において、新しい都市開発なんて必要ないという考えもありますが、やっぱり都市の更新というのはこれからも必要となってくるものです。

その意味で土地区画整理事業は細々とでもこれからも続いていくのかもしれません。

別に興味がないっていう人もこういう地道な作業から都市が新陳代謝が進んでいるという事実を知ると、また自分の住んでいる街の歴史がわかって少し毎日が楽しくなるかもしれませんよ!!


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鷹h氏 (@noaru_takahshi) の戯言

鷹h氏
なんだかんだ色々と語ってみましたが、ひとまず勉強頑張れ、俺。

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2 件のコメント

  • 素晴らしい。
    「区画整理はつまらない」などといわれて少々ムッとしていましたが、よくぞ調べられました。
    確かに区画整理の手法は退屈で化石的で画一的なのかもしれません。
    しかし、慢性的閉塞感に苛まれている日本の都市計画をドラスティックに変えていけるのは区画整理以外ないと私は思っています。
    どうか今後も区画整理事業の勉強に邁進されます様、心より願います。

    • >かむ様
      コメントいただきありがとうございます。
      かむ様のおっしゃられるとおり、日本の都市景観を大きく変えるとすれば
      土地区画整理事業しかなく、これからも残っていく都市計画事業だと思っています。
      区画整理は本当に地道な作業ですが、
      区画整理士も無事取得出来ましたので引き続き勉強していこうと思います。

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